牧野四子吉について (Who is Yonekichi MAKINO?)

牧野四子吉さんとはどんな人だったのでしょう。

魅力ある多様な人たちとの関わり合いも必見です。 

牧野四子吉のライフワーク-

ライフワーク

 学術書をはじめ、図鑑や事典、教科書やこどもの本に生涯にわたり三万点以上もの生物生態画、挿図などを描いた牧野四子吉。

 

 誰もが人生のどこかで紐解く本 ―代表的な生物図鑑や「広辞苑」、また『少年少女ファーブル昆虫記』- でその画の驚くべき緻密さとともに、描かれた対象物に対するあたたかなまなざしが感じられる筆致は、見る者を強く魅了し、その画は各々の記憶の中にずっと刻まれていくのではないでしょうか。

 

 1929(昭和4)年、移り住んだ京都で生物画制作の世界へと足を踏み入れた四子吉。この出来事こそ、彼のライフワークが定まる決定的なターニングポイントでした。

 

 京都帝国大学(現 京都大学)理学部動物学教室の川村多實二教授(生理・生態学、1883~1964)の指導や若手生物学者との交流のもと、生物についての理解を急速に深め、1932年には早くも四子吉が挿図を担当した最初の図鑑『日本昆虫図鑑』(著者代表 中村清之助、北隆館)が刊行されています。

 

 その後、大量の学術論文の挿図のための細密な生物画制作を次々とやり遂げ、東京へ転居した四子吉のもとには、図鑑や教科書用の挿図、挿絵の注文が殺到、一途に生物を描く道を歩み続けるのです。

 

ライフワーク

自然が生み出した生物たちの姿やしくみに高い関心を持ち続け、鋭い観察眼と秀でた手わざをもって正確な生物画を追求し、世に送りだしたそんな彼の根底には、

 

「こどもたちに自然の面白さを伝えたい」

「こどもたちが何かを感じ取れるような絵を描きたい」

 

という思いが常に流れていたといいます。教科書への挿絵を最晩年まで描き続けたのは、この信条があったからこそ。厖大な生物たちをひたむきに見つめ続けてきた彼ならではの愛情が、描いた生物画一点一点には宿っているのです。

 

 自分の目で確かめ、自分の手で克明に描くことではじめてとらえることができるもの。じっくりとみつめなければみえない世界があるということ。忘れがちだけれども本当はとても大切なことを、牧野四子吉のライフワークは私たちに伝え続けてくれているのです。


略歴へ
略歴へ
人物相関図へ
人物相関図へ
牧野四子吉と文子
牧野四子吉と文子